1960年代から70年代にかけて一世を風靡した女優・小川ローザさんは、当時の芸能界に鮮烈な印象を残した人物です。
丸善石油のCM「Oh!モーレツ」で一躍注目を集め、若くして時代の象徴的存在となりました。
その後、元夫であるレーサーの川合稔さんとの結婚と突然の死別により、芸能界を引退。
小川ローザさんの私生活は大きな転機を迎えます。
再婚については長年にわたり多くの憶測が飛び交いましたが、元夫との死別後に再婚したという確証はなく、未婚のまま母となり、息子を育ててきた経緯があります。
本記事では、小川ローザさんの再婚に関する真実と、若い頃の活躍、そして現在の生活や家族との関係まで詳しくご紹介します。
小川ローザの再婚の噂と人気絶頂期の過去
小川ローザさんは再婚していないことが明らかになっています。

引用:プライムプロモーション
1970年に人気絶頂の中で芸能界を引退し、夫・川合稔さんとの死別後に再婚した事実はありません。
近年、ネット上で小川ローザさんの再婚をめぐる噂が見ら芸能界を引退した1970年は、婚約していたレーサーと事故死によって深い喪失を抱えた時期でした。
再婚に関する噂が現在でもネット上には散見されますが、信頼できる情報源では再婚の事実は一切確認されていません。
小川ローザさんには息子がいらっしゃいますが、再婚ではなく「知人の男性」との間に授かった子であるとの説明が繰り返されています。
再婚に関する誤った情報が広まる中で、彼女がどのような軌跡を辿ってこられたのかを、若き日の華やかなデビューから家族との現在まで紐解いていきます。
若い頃の鮮烈なデビューと活躍
小川ローザさんは、文化服装学院在学中にモデルとして活動を開始し、1969年に丸善石油のCM出演で一躍脚光を浴びました。
ミニスカート姿で登場し、大風でスカートが舞い上がる大胆な演出に「Oh!モーレツ!」と叫ぶシーンは瞬く間に話題となり、社会現象の一因となりました。
この衝撃的な登場をきっかけに、テレビ番組への出演依頼、ファッション雑誌での表紙、歌手デビューまで次々と活躍の場を広げていきました。
歌手デビュー作「風が落した涙」は25万枚ヒットを記録し、演技と歌唱で多彩な才能を見せた小川ローザさん。
大胆な歌唱活動への試みは本人にとって試練でもあったようですが、注目度は高く、再婚後も語り継がれるほどの影響力を持っていました。
「Oh!モーレツ」で社会現象に
小川ローザさんの代名詞とも言える「Oh!モーレツ」のCMは、日本が高度経済成長期に突入する中で放映されました。
タイムトラベルガールで小川ローザさんやりたいんだけど、この形のヘルメット貸してくださる方いらっしゃいますか? pic.twitter.com/VRqDXZbjuD
— 平成生まれが時代を考察する会(@1989showa) September 4, 2024
ミニスカートが風で舞い上がり、彼女自身が「Oh!モーレツ!」と叫ぶ大胆な演出は、当時の価値観を大きく揺さぶりました。
この一言は瞬く間に流行語となり、子どもたちが真似をするなど全国で社会現象を巻き起こしました。
大人から子どもまで、世代を超えて共感を呼んだこの広告は、テレビCMのあり方そのものを問い直すきっかけともなりました。
大胆な表現とメッセージ性を併せ持つ内容が、単なる製品広告を超え、文化的な存在となったのです。
また、CMで見せた小川ローザさんの魅力が、多くの人にとって忘れられない印象を残しています。
その後も再婚はせず、元夫・川合稔さんとの思い出を胸に、現在に至るまで独身生活を貫いています。
小川ローザさんの再婚にまつわる噂とは裏腹に、時代を変えた存在感はいまも語り継がれています。。
話題を呼んだ丸善石油のCM
1969年に放映された丸善石油のテレビCM「100ダッシュ」は、小川ローザさんの存在を全国に知らしめたきっかけとなりました。
このCMでは、当時としては非常に斬新だった演出が取り入れられ、スカートが舞い上がるという大胆なシーンとともに、彼女の発する「Oh!モーレツ!」というセリフが視聴者の記憶に鮮烈に刻まれました。
テレビ広告という枠を超えて注目され、新聞や週刊誌でもたびたび特集が組まれ、広告界の伝説的存在となったのです。
そのインパクトは凄まじく、ローザさん本人も出演後には連日のようにメディアに取り上げられました。
大胆さと品のバランスを兼ね備えた彼女の魅力が世間に広まり、当時のミニスカートブームや高度経済成長の勢いと重なり、大胆な演出が強烈な印象を残しました。
男性ファンが殺到したエピソードや、子どもたちの間で「スカートめくり」が流行したことも、小川ローザさんの影響力の大きさを物語っています。
ハーフと噂された日本人離れした容姿

引用:X(旧Twitter)
小川ローザさんは、彫りの深い顔立ちや整った目鼻立ち、すらりとしたスタイルなどから、日本人離れした美貌の持ち主と評されてきました。
そのため、彼女については「ハーフではないか」という噂が当時から根強く存在していました。
実際にはイタリア系の血筋を引いているわけではなく、れっきとした日本人であるとされており、実際には純粋な日本人であり、千葉県成東町出身であることが明らかになっています。
ただし、芸名である「ローザ」という名前の響きや、欧米風のファッション・メイクを好んでいたことも、そのような印象を強めた要因となったと考えられます。
あまりにも完成された美しさが故に、「外国のモデルでは?」という声が自然と湧き起こるほどだったということからも、当時の衝撃的な存在感が伝わります。
しかし、両親も日本人で、本名は小川静代さんとされています。
現在も再婚しておらず、小川ローザさんは独身を貫いていると報じられています。再婚説やハーフ説が取り沙汰されるのは、それだけ人々の関心が途切れない証でもあります。
夫・川合稔との結婚と突然の死別
小川ローザさんは、1970年2月26日にトヨタのレーシングドライバーだった川合稔さんと結婚しました。

引用:Twitter
ふたりは美男美女のカップルとして大きな話題を集め、トヨタ・コロナの広告にも夫婦で出演するなど、公私ともに充実した生活を送っていました。
しかし幸せな結婚生活は、半年後に悲劇的な結末を迎えます。
同年8月26日、鈴鹿サーキットでのテスト走行中に川合稔さんが事故で命を落としました。
この出来事は当時の芸能界にも大きな衝撃を与え、新聞やワイドショーでも大きく報じられました。
ローザさんは、最愛の人との突然の別れに深い悲しみを抱き、その後芸能活動からも距離を置くこととなります。
短期間の活躍ながらも強烈な印象を残した彼女が、突如として表舞台から姿を消した背景には、この悲劇が深く関わっていたのです。
この出来事以降、彼女が再婚することはなく、独身を貫いた人生を選ぶことになります。
その一途な想いと悲しみは、現在も人々の記憶に残されています。
当時の人気を物語るポスターの数々
小川ローザさんの人気が最高潮に達した1969年から1970年にかけて、彼女の出演する広告ポスターやキャンペーンビジュアルは街中にあふれていました。
特に有名なのが、夫・川合稔さんと共演したトヨタ・コロナSLの広告で、理想の夫婦像として注目を集めました。
#モー何8月26日
— Mar ⚡ (@keephot_mar) August 25, 2020
1970年の今日は、当時のトヨタのエースドライバーだった川合稔さんの命日です。鈴鹿サーキットで、トヨタ7のテスト中の事故によって死去しました。川合さんは「Oh!モーレツ」のCMで有名な小川ローザさんと結婚し、夫婦でトヨタ・コロナのポスターにも登場しました。#モー何 #モー何8月 pic.twitter.com/5RyvpTRqrE
特に「Oh!モーレツ!」のポスターは、駅構内やビルの壁面、大手百貨店のショーウィンドウなど、ありとあらゆる場所に掲示され、多くの人々が足を止めて見入ったと言われています。
その鮮やかなビジュアルと、洗練された構図が時代を象徴するアイコンとして扱われ、現在ではコレクターズアイテムとしても高値で取引されています。
広告の力だけでなく、彼女自身の表現力や独特の存在感が強く映し出されたことにより、単なる宣伝物を超えてカルチャーそのものとなったのです。
これらのポスターは、当時の社会における小川ローザさんの影響力を今に伝える貴重な資料ともなっています。
小川ローザは再婚せず?現在の家族と活動
小川ローザさんは、川合稔さんと死別して以降、再婚はしていません。
長年にわたり表舞台からは遠ざかっていたものの、現在は家庭を大切にしながら穏やかな生活を送っているようです。
未婚の母として一人息子を育てあげ、その息子が俳優として活動していることもあって、時折メディアで彼女の名前が話題にのぼることがあります。
現在は介護職に携わりながら、モデルとしての活動も続けているとされ、そのたたずまいからは、年齢を重ねてもなお変わらぬ美しさと内面からにじみ出る品格が感じられます。
年齢を感じさせない現在の美しい画像
小川ローザさんは、再婚をせず独身のまま現在も華やかな美しさを保っています。

引用元:プライムプロポーション
昔の面影を残しながらも、落ち着いた雰囲気と自然体の笑顔が印象的で、派手さではなく気品ある美しさが際立っています。
SNSなどで流れる画像では、スタイルを保ち続けていることも確認でき、ファンからは「まるで昔と変わらない」といった声も多く聞かれます。
芸能界からは離れて久しいものの、変わらぬ存在感と凛とした佇まいが今なお注目を集めているのです。
画像を見ても若い頃の華やかなイメージとはまた違った、成熟した女性ならではの魅力がにじみ出ており、その姿は多くの人に感銘を与えています。
未婚の母として育てた息子の存在
小川ローザさんは、最初の夫・川合稔さんと死別後、再婚せずに息子を一人で育てたことで知られています。
息子の小川大悟(芸名:小川代護)さんは、現在俳優として活躍しており、母子でのテレビ共演も行っています。
息子さんの父親については「知り合いの男性」とされており、結婚や再婚といった形式にはこだわらず、未婚の母として育児を全うしました。
育児と仕事の両立は決して容易ではなかったはずですが、ローザさんは表に出ることを控えながらも、しっかりと息子を育てあげました。
その背景には、若くして人生の大きな喪失を経験したからこその覚悟と、母としての強さが感じられます。彼女が選んだ静かな生活は、子どもにとっても安心できる環境だったのでしょう。
家族との絆は強く、同居する姉・弟とも協力しながら温かい家庭を築いています。
未婚の母としての道のりは決して平坦ではなかったはずですが、息子との信頼関係は深く、再婚という選択を取らなかったからこそ、より強い親子の絆が育まれたのかもしれません。
俳優として活躍する息子の小川大悟
小川ローザさんの息子である小川大悟(芸名:小川代護)さんは、個性派俳優として映像・舞台の両分野で活躍しています。
〈 出演者様 ご紹介 〉
— 尋玲能楽 (@yXXl1RcM2G4693) June 24, 2025
紅組 / 維茂役 : 小川代護
俳優人生の中で初めてとなる能楽堂で出演できるという事で日本人として有難く。子役時代から知る兼田氏の企画というのも相まり両方嬉しく思います。
御来場になる皆様方に日本文化を気軽に触れる機会と、濃密なお時間をお届けいたします。 pic.twitter.com/hm4oO1KxCT
その整った容姿や落ち着いた演技からは、母であるローザさんの遺伝的な影響や育ちの良さが感じられます。
1982年に東京都で生まれた小川大悟さんは、P³Garage所属の俳優であり、舞台プロデュース団体「OG-3works」を主宰するなど、演劇にも深く関わっています。
ドラマ『ラストコップ』や『チート』などでの出演をはじめ、映画『ラプラスの魔女』や『曇天に笑う』にも登場し、確かな演技力で注目を集めています。
母の存在について公の場で語ることは少ないものの、インタビューなどでは「尊敬する人」として名前が挙がることもあります。
家庭的な環境で育ったことで、礼儀正しく誠実な人柄も評価されており、業界内でも信頼を得ている俳優の一人です。現在は舞台やテレビを中心に活動しており、少しずつ注目を集めつつある存在です。
親子二代にわたり、それぞれの形で多くの人に影響を与えていることがうかがえます。
小川ローザさんとの共演や親子でのテレビ出演もあり、母子の絆が伝わるエピソードが多く、再婚後に築かれた家庭のあたたかさが伝わってきます。
介護士とモデルとして活動する現在
小川ローザさんは現在、介護士とモデルという二つの仕事を両立しながら活動しています。

引用:テレ東
近年の小川ローザさんは、芸能活動に本格的に復帰することはないものの、モデルとしての撮影やインタビューを受ける機会が少しずつ増えています。
加えて、介護士としても現場に立ち、実際に人と接しながら社会に貢献しているとの情報があります。
長年の人生経験を生かし、人を支えるという道を選んだことには多くの人が感銘を受けており、その生き方が一つのロールモデルとして注目されています。
また、仕事に向き合う姿勢は若い世代にも好影響を与えており、第二の人生を前向きに楽しんでいる様子がうかがえます。
外見の美しさだけでなく、内面の強さや優しさも兼ね備えた彼女の今の姿は、かつてのファンのみならず多くの人々に勇気を与えています。
小川ローザの再婚に関する情報のまとめ
小川ローザさんの再婚については、これまでに確かな報道や公式な発表は一切なく、事実として再婚していないことが知られています。
若くして婚約者であった川合稔さんを事故で亡くし、その深い悲しみから立ち直るには長い時間が必要だったと考えられます。
その後は一人で子育てに向き合いながら、自分らしい人生を静かに歩んできました。
現在も芸能活動には本格的に復帰していないものの、介護士として人の支えになる仕事に就いているほか、時折モデルとしてメディアに登場することもあります。
年齢を重ねた今もなお変わらぬ美しさと気品を保ち続け、多くの人々に希望や勇気を与えています。
再婚という選択をしなかった彼女の人生は、愛と喪失、そして強さに満ちた軌跡として、多くの人に深い印象を与え続けています。
今後もその静かな生き様に、多くの関心が寄せられることでしょう。




