稲垣潤一さんは「クリスマスキャロルの頃には」など、心に残る名曲で知られる人気アーティストです。
そんな稲垣潤一さんが再婚されたお相手の方(妻)はどのような方なのでしょうか。
また、最初の結婚相手である前妻についても注目が集まっています。
さらに、稲垣潤一さんに子供はいるのか、現在どのような生活を送っているのかも気になるところです。
この記事では、稲垣潤一さんの再婚相手や亡くなられた前妻、子供の有無、そして現在の暮らしについて詳しくご紹介します。
再婚した稲垣潤一の妻はどんな人?前妻との死別
稲垣潤一さんにはこれまでに2回の結婚歴があります。
現在の奥さま(妻)は、2008年10月に再婚された一般女性です。
年齢は、稲垣潤一さんよりも10歳年下で結婚当時45歳。
奥さまにとっては初婚で、フリーランスで働いていた方です。
翌年の2009年3月に、親族や親しい人たちだけを招いて、ささやかな結婚式を執り行ったそうです。
なお、再婚相手の名前や顔写真などの個人情報は一切公開されておらず、プライベートを大切にされている様子が伺えます。
一方、稲垣潤一さんの前妻は笛美(ふえみ)さんという方で、若い頃から30年以上も共に歩んだパートナーでした。
音楽活動においても、「紫夢(しむ)」というペンネームの作詞家として稲垣潤一さんをサポートされてきました。
しかしながら、2006年に亡くなられています。
当時、その事実は公表されておらず、再婚が報じられたタイミングで、初めて広く知られることとなりました。
ですから、長年のファンにとっては、亡くなられたことと別の方と再婚されることを一度に知ることとなり、かなり驚かれたようです。
稲垣潤一の子供は何人いる?公表されない家族構成
稲垣潤一さんには、子供はいるのでしょうか。
実は、稲垣潤一さんの子供については一切公表されていません。
公式なプロフィールやインタビューなどにも、お子さんに関する記載はありませんし、家族構成についても非公開となっています。
ですから、子供はいない可能性が高いと考えられます。
特に、稲垣潤一さんと30年以上連れ添った前妻の笛美さんは、体があまり強くなかったとされています。
さらに、亡くなる直前まで稲垣潤一さんの音楽活動を支えていました。
そのため、お子さんを授かることが難しかったかもしれません。
また、再婚された当時、稲垣潤一さんは55歳、再婚相手の奥さまは45歳でした。
近年は、高齢出産も一般的になってきましたが、年齢的なことを考慮すると、新たに子供をもうけるには条件が厳しかったのではと推察されます。
あくまで推測の域を出ませんが、これらの状況を踏まえると、稲垣潤一さんにはお子さんがいないのではと考えられます。

稲垣潤一の若い頃!前妻との出会いや馴れ初め
稲垣潤一さんは1953年7月9日、宮城県仙台市で生まれ育ちました。
音楽好きな家庭で育ち、学生時代からその才能を発揮していました。
中学時代に地元・仙台でバンドを結成し、ドラムとボーカルを担当。
高校を卒業すると、ディスコやクラブで演奏する日々をスタートさせました。
稲垣潤一さんと前妻である笛美さんの最初の出会いは、笛美さんが稲垣潤一さんのファンになったことがきっかけでした。
デビュー前から、稲垣潤一さんを支え続け、やがて結婚へと至ったようです。
正確な入籍時期は明らかにされていませんが、1970年代半ばと言われていて、稲垣潤一さんがプロデビューするよりも前のことでした。
※稲垣潤一さんは1982年に「雨のリグレット」でデビューされています。

結婚後、笛美さんは「紫夢(しむ)」という名で作詞活動も行い、稲垣潤一さんを支えました。
以下に、笛美さんが「紫夢」名義で作詞した作品の一部をご紹介します。
曲名 | 備 考 |
---|---|
Forever Christmas | 単独作詞 |
ラ・ルミエール | 単独作詞 |
レイミア | 単独作詞 |
青い罪 | 稲垣潤一さんと共作 |
千の悲しみを超えて | 稲垣潤一さんと共作 |
ヒールを鳴らせ | 稲垣潤一さんと共作 |
Cheers for Heart | 稲垣潤一さんと共作 |
eternity | 単独作詞 |
これらの楽曲は、アルバムやカップリング曲として発表され、コアなファンからは高い評価を受けていました。
ドラムを叩く姿がかっこいいと評判の当時
稲垣潤一さんは、地元・仙台で活動していた頃から、ドラムを叩きながら歌うという独自のスタイルが「かっこいい!」と注目を集めていました。
当時、このようなパフォーマンスは非常に珍しく、観る者に強い印象を残していたそうです。
稲垣潤一さんは中学3年生のころから「ドラムを演奏しながらボーカルもこなす」という現在のスタイルを確立していたとのこと。
その理由については、次のように語っています↓
「ドラムが中学1年生ぐらいのときから好きで、まず音とかじゃなくてドラムセットの見た目が。
僕はドラムもやりたかったし、歌もやりたかったんですよ。
だからドラムを叩きながら歌うというのは、その頃からのスタイルなんですよね。
誰かの真似ではなく。」
引用元:Billboard Japan
まだ中学生だというのに、自身の音楽スタイルに対するしっかりとした考えがあったことがわかりますね。
さらに、端正な顔立ちと、落ち着いた雰囲気もあいまって、「かっこいい」と人気がありました。
さらに、洋楽の影響を感じさせる感性と、洗練された雰囲気からも「かっこいい」と高く評価されていました。
こうした魅力が重なり、稲垣潤一さんは仙台の音楽シーンで、若い頃から際立った存在感を放っていたのです。
しかしながら、稲垣潤一がメジャーデビューされたのは1982年で、当時29歳。
決して早いデビューではありませんでした。
リハ始まりました♪
— 稲垣潤一_Official Staff (@JI_hotclub) September 22, 2021
お待ちしております♫
開場:17:30〜 開演:18:30〜#稲垣潤一#中野サンプラザ pic.twitter.com/UOPE3ZmjKo
稲垣潤一の現在!画像で見る変わらぬ魅力
稲垣潤一さんは、2025年7月9日に71歳になりました。
しかしながら、今も変わらぬ魅力を放ち続け、全国で精力的に音楽活動を行っています。
「ドラムを叩きながら歌う」という唯一無二のスタイルも、今も変わることなく健在です。
こちらは、2025年2月に公式Instagramに投稿されたものです↓
2025年も全国各地で公演を行い、代表曲を中心に安定した歌声と演奏で観客を魅了しています。
会場には長年のファンはもちろん、若い世代の姿もあり、幅広い層から支持されていることがわかります。
時代が変わっても、稲垣潤一さんの魅力は色あせることなく、パフォーマンスの完成度が高いと評価されています。
前妻との死別は事故?囁かれる噂の真相を解説
インターネット上では一時期、前妻の笛美さんが「事故で亡くなったのでは?」という噂が流れたことがありました。
しかし、この噂には信ぴょう性がなく、実際には2006年に病気のため他界されたと考えられています。
笛美さんは長い間体調を崩されており、闘病生活を送っていたという情報が複数あります。
稲垣潤一さんや関係者から「事故死」について語られたことは一度もありません。
インターネット上では
「稲垣潤一さん 奥さん 事故」
などの検索キーワードが見られることがありますが、これは根拠のない情報による誤認でしょう。
総合的に考えて、稲垣潤一さんと笛美さんの別れは「事故」ではなく、「病気による死別」と考えるのが自然だと思います。
再婚後の稲垣潤一を支える妻と謎多き私生活
再婚後の稲垣潤一さんは、現在の奥さまと共に穏やかな日々を送っているようです。
しかし、あまりにもプライベートな情報が公開されないことから「謎多き私生活」と言われています。
奥さまは、10歳年下の一般女性で、結婚当時は45歳。
「フリーランス」として働いていたということ以外は、具体的なお仕事の内容や経歴なども公表されていません。
ただ、芸能関係者ではないことが分かっています。
お2人の馴れ初めについても、一切明かされていません。
一部の情報では「音楽活動や仕事の関係で知り合った」との推測はあるものの、あくまで憶測の域を出ません。
現在の生活については、公私ともに安定し、充実した日々を過ごされていることがうかがえます。
稲垣潤一の実家は仙台で洋品店を経営
稲垣潤一さんのご実家は、仙台市内で「いながき洋品店」という洋品店を経営されていました。
地元では、長く親しまれていたお店で、温かい雰囲気の中、地域に根ざした営業を行っていたそうです。
店内には、稲垣潤一さんのポスターや子どもの頃の写真も飾られていて、ファンにとっては“聖地”のような存在でした。
また、お母様が訪れたファンに対して気さくに対応し、テレビ出演の告知までしていたというエピソードも残されています。
残念ながら、区画整理の影響で現在はすでに閉店していますが、「いながき洋品店」は、稲垣潤一さんにとっても、ファンにとっても、忘れがたい場所だったことでしょう。
@snoppyhappy72 実は訪問した事があるんですよ。いながき洋品店。店先しか知りませんけどね。お母様とお話しさせていただきました。もう次に仙台を訪れた時は区画整理でなくなっていました。優しいお母様でした。今となっては貴重な懐かしい思い出です。
— おぐらかずみ (@shylights1125) January 16, 2014
稲垣潤一さんは、今でも地元への想いは熱く、毎年チャリティーコンサートを開催し、東日本大震災の復興支援に尽力されています。
さらに「稲垣潤一東北サポート基金」も立ち上げて、継続的な支援活動を行っている姿勢は、多くの人々の心を打っています。
「稲垣潤一東北サポート基金」へのご支援ありがとうございます。渡波中学校新校舎落成式、贈呈式終了致しました。 pic.twitter.com/JSo1ICydV9
— 稲垣潤一 (@InagakiJunichi) April 8, 2017
音が聴こえてきそう。 RT @ShuChiba1: @InagakiJunichi 昨日楽天コボスタで野田中三年生が招待演奏しました。稲垣潤一東北サポート基金から寄贈された和太鼓も子供達によって場内に響き渡り沢山の拍手を頂きました http://t.co/onDAtFEIwS
— 稲垣潤一 (@InagakiJunichi) September 28, 2014
稲垣潤一に兄弟はいる?その家族背景に迫る
稲垣潤一さんに兄弟姉妹がいるかどうかについて、公式なプロフィール等では明かされていません。
兄弟姉妹の存在を示す記述はまったくないため、一人っ子である可能性が高いと考えられます。
また、「加藤茶さんと兄弟ではないか」という都市伝説的な噂が一部ネット上で広まったこともあります。
しかし、これは事実ではありません。
これは、テレビ番組やネット上の掲示板、SNSなどで語られた「冗談」や「ネタ投稿」が一人歩きしたものとされています。
実際に、稲垣潤一さんと加藤茶さんに血縁関係はありません。
稲垣潤一の自宅は富士山が見える緑豊かな場所か
2025年現在、稲垣潤一さんが、再婚した奥さまと住んでいる自宅はどこにあるのでしょうか。
確かな住所は、もちろん公表されていません。
しかし、稲垣潤一さんの現在の自宅は、富士山が見える自然に囲まれた場所とのこと。
それがわかるエピソードとして、稲垣潤一さんがSNSで、
「近所の景色が変わってしまった」
と投稿したのに対して、ファンから
「富士山が見えなくなっていませんか?」
と心配のコメントが寄せられたことがありました。
このやりとりから、「富士山が見えるところに住んでいる」という認識が、すでにファンの間に定着しているようです。
稲垣潤一さんご自身も、「四季折々の自然を大切にしている」と語っており、緑に囲まれた静かな環境で暮らしている様子が想像されます。
稲垣潤一の現在の年収を活動内容から推測
2025年現在、稲垣潤一さんの年収はいくらくらいなのでしょうか。
あくまで推定となりますが、2025年現在の稲垣潤一さんの年収は、数千万円規模と考えられます。
予想される主な収入源は、以下の通りです。
- コンサートやディナーショーなどのライブ活動
- テレビ/ラジオ番組や、各種イベントへの出演
- 楽曲の配信やCDの売り上げ
- 過去のヒット曲による印税収入
特に「クリスマスキャロルの頃には」などの代表作は、毎年のようにメディアや店舗、配信などで使用されていて、今でも安定した印税が入っていると見られます。
2024年12月には、「クリスマスキャロルの頃には」の新たなミュージックビデオがYouTubeにて公開され、約2週間で100万回再生を突破しました!
稲垣潤一『クリスマスキャロルの頃には』
— フジパシフィックミュージック(FUJIPACIFIC MUSIC)公式 (@fujipa_official) December 25, 2024
公式MV 100万回再生突破!
公開から約2週間、皆様にご好評頂き
YouTube100万回再生を超えました!
まだご覧になっていない方は
ぜひご覧ください!
リンクはこちら→https://t.co/kat2BEJQcy#稲垣潤一 #クリスマスに聞きたい #クリスマス #鳴海唯
その他にも、過去の名曲の新映像が続々と公開されており、新旧ファンの間で再評価が進んでいます!
稲垣潤一Official YouTubeチャンネルはこちら!
再婚した稲垣潤一の妻や家族についての情報まとめ
今回の記事では、稲垣潤一さんの再婚相手や前妻のこと、さらに子供の有無、現在の生活などについてご紹介してきました。
稲垣潤一さんは、最初の妻である笛美さんと30年以上の時を過ごしましたが、2006年に死別されていることがわかりました。
その後、稲垣潤一さんは2008年に再婚されています。
子供については、公に存在が確認されておらず、家族構成についても明かされていません。
稲垣潤一さんは、70代になった現在も、変わらず音楽活動を続けています。
これからも多くの人々の心に響く歌声と演奏を届けてくださることでしょう!




